ゲイリー・フォスター(as)
ローランド・バティック(p)トリオ
レコード会社名 : カメラータ
レーベル名 : insights
CDナンバー : CMJD-25002
税抜価格 : ¥2,500_
発売日 : 2005/ 3/20
録音 : 2004/12, オーストリア・ウィーン 「JAZZLAND」
プロデューサーノート
1980年代後半から90年代にかけて、毎年12月末、クリスマス前後の寒いウィーンで仕事をしていた。 この時期にアート・ファーマーがウィーンのジャズクラブ「ジャズランド」に毎年出演していて、それを友人を誘ったり、 時には一人で席を取ってでも、必ず聴きに行っていた。
このクラブの良い所は、アーティストやオーナ一と気軽に話ができるアットホームな雰囲気があって、お陰で、 アート・ファーマーとは親しくなって、幾度かランチを一緒にすることにもなった。
2年前に高樹レイの2枚目のアルバムとして、ウィーンでフリードリッヒ・グルダの弟子で、 ジャズとクラシックの両方で活躍しているローランド・バティックのトリオをバックにトーチ・ソングばかりを 集めたアルバムを録音したが、この時に高樹レイは「ジャズランド」に出演した。これは、その録音の半年 ほど前に「ジャズランド」のオーナー、アクセル・メールハート氏を訪ね彼女の1枚目のCDを持っていったところ、 バティックの都合さえ良かったら彼女を出してみないか、と声をかけてもらっていたことによる。 その時の彼女のステージの印象が良かったのだろうか、ある日、親友のルー・タバキンが出演しているのを知って、 それを聴きに「ジャズランド」に出かけたら、オーナーが私を見つけて、「レイはどうしてる? また、ウィーンに来るなら出ないか?…」と再度の声がかかった。
3枚目のアルバムコンセプトを、どうしようか。 2枚目と3枚目のリリースの間隔も、すこし間があいてしまったし…と考えている時に、 去年(2004年)の6月にゲイリー・フォスターがザグレブ・クランゲンフルト等でコンサートをして、 ウィーンに一泊するとの連絡があって、僕がその頃ウィーンにいるのなら、食事をしようという事になった。 2002年には、アラン・ブロードベントらとクァルテットで、コンツェルトハウスの ジャズのシリーズで、モーツァルトザールで演奏したゲイリー・フォスターを聴き、ウィーン市内の観光案内もしたし、 フォスター夫妻がその時以来、ウィーンを事の外お気に入り、という事も頭にあったので、とっさにひらめいたのが、 フォスターをゲストに「ジャズランド」でライヴ録音というアイディアであった。
ウィーンで一泊しか出来ないフォスターの、その夜、私は行きつけのホイリゲ「ギーゲル」にローランド・バティックを呼び出して、 この二人を結びつけておこうと考え、一緒に飲んだ。今回のアルバムは、その時に、私の頭の中ではできていた。
バティックも私があげたゲイリー・フォスターのアルバムを気に入ってくれ、ライヴ録音を「ジャズランド」でやる計画を 積極的に考えてくれて、メールハートとの交渉もすべて彼が後を引き継いでやってくれた。
バティックのレギュラー・トリオはドラムレスで、ヴィブラフォンのシャバタが加わった形がレギュラーメンパーなのだが、 ゲイリー・フォスターのアルトをフューチャーするのには、ヴァイブをはずして,ドラムを加えるほうが良いだろうという事になった。
「ジャズランド」は、2日間の出演をOKにしてくれて、ライヴ録音をする事も積極的に支援。 秋吉敏子のビックバンドをブロデュースしていた1974年以来、人間としても音楽の上でも尊敬しているフォスターがLAからウィーンに飛んで来て、バティックの地元のコンサートも含めて、 3回の公演を録音することになった。
歌の選曲は高樹レイさんにまかせたが、前の2枚のアルバムと重複はさけるように言った。 日頃、日本でのジャズ・クラブのライヴ活動が中心で、ステージも増えている彼女にとっては、ライヴ録音の方が 生き生きとしている面もあって、2日間楽しい仕事であった。
録音エンジニアは、前回バティックの「Bridges Ⅱ/still」(日本未発売・乞ご期待。)の録音をまかせた “Quinton” という ジャズ・レーベルのオーナーでエンジニアでもある、若いが中々センスの良い録音を録るアンドレアス・ラートハマー (Andreas Rathammer)氏に頼んだ。
ウィーンでのトラック・ダウンからマスターを作るところまで、久し振りに他社のエンジニアと組んで仕事をしたが、 これも昔に戻った気分で新鮮だった。
恐らく高樹レイにとっては、今、作れる最高に輝かしいアルバムが出来たと自負している。 いや、今回のマスターを作っていて、作った本人が幾度も聴き直したくなるに違いないと思うほど、充実した出来ばえである。 ゲイリー・フォスターに心から感謝。そして、ローランド・バティックのトリオにも。
プロデューサー 井阪 紘 氏